健康経営
経済学の授業で取り上げられた『健康経営』という概念。
働く従業員は大切な資本だから、
健康に投資して、健康な身体で生産性を上げてもらおうという考え方。
マクロで見ると、
労働力の確保維持と同時に医療費も抑えられるだろうという見方。
健康への投資には様々な方法があって、
毎年受ける健康診断もそうだし、禁煙成功したら褒賞します!メタボ気味だからね1万歩歩きましょう!的な取り組みも、従業員の健康への投資と言える。
以前新聞で読んだ記事をふと思い出した。
従業員の配偶者への健康投資は進んでいるだろうか。仮に配偶者が病気や怪我で入院したとすると、その看病や育児に従業員は時間を要することになる。結果、従業員は会社を休み生産性が悪化するか、その従業員が無理をして健康を害するという負のスパイラルに陥る可能性も十分に考えられる。
配偶者にも従業員と同程度の健康投資をする企業は、人材確保の視点で優位性を持つだろう。
新卒一括採用条件では目がいかない項目も、
今後拡大する中途採用領域においては、
有効に働くと思う。
少なくとも『従業員重視』という声高な文章よりも、制度で定め実践している方がよっぽど説得力が高い。
健康は個人の生活習慣による部分は多いけれど、会社側が実施できる取り組みも、健康経営の重要度の高い低いによって、幅が広がるという事が言えそうだ。
意思決定
来週1週間で夏休みが終わる。
この夏で得た教訓は、計画通りに実行する事がいかに難しいか、である。
大切な宝物であるmeymalは、
7ヶ月8ヶ月の月齢をこの期間に迎え、
そして数々の計画(旅行やお出掛け)の前日や前々日に高熱を出した。これまで大きな発熱なく過ごして来たmeymalだが、成長の証とも言える高熱を連発した。
もちろんmeymalにとっては、ツライツライ状態で可哀想なのだが、それも親からすると成長したのかな、と思わせるお知らせのようなものだ。
徐々にママから受け取る免疫が無くなり、赤ちゃんから子どもへと成長するmeymal。
そんなmeymalを毎日見続けられた事は、人生において貴重な経験と言える。
MBA取得の過程で、最頻用語である『意思決定』という言葉。
そう、経営者の仕事は意思決定の連続なのだ。
この夏、一家の経営者であるパパも数々の意思決定を行った。
(meymalの発熱を前に、予定していた宮古島へのバカンス旅行を中止にするか、それとも日をずらして延期にするか、それぞれの選択肢を選んだ際のキャンセル料はいかほどか、meymalの熱はどれくらいで下がるのか、病院へ連れて行き回復したmeymalを前に、あれ、やっぱり旅行には行けるかも?)
こんな心の声を前にパパは、
meymalファーストで『すべて中止』という意思決定を行う。そして心の中で声高に『キャンセル料なんて痛くないぜ』と叫ぶ。そしてママとmeymalに対して、『改めて機会を設ける』という公約を掲げる。
一刻一刻と変化するmeymalの体調は、
ビジネスで言う不確実性である。
不確実性は確率では表せない。
そんな不確実で一刻一刻と変化する状況を前に意思決定を下す事は、ビジネスの場でも家庭の場でも同じ事のように思う。
そしてそれは同時に自分の価値観や判断基準を問われているような気がする。
勉強の計画は予定通りに進まなかったけれど、この夏にしか経験できないものをたくさん経験できたのだから、有意義な夏休みだったと言えるだろう。
さあ、また計画を立てて、不確実性という荒波を乗り越えて実行し、meymalに負けじと成長していこうではないか。
What do you do for a living?
日本だけに居ると気付かないことが多い。
海外旅行に行った時、
『君はどんな仕事をしてるのか?』
という問いにハッとさせられた覚えがある。
日本では『〇〇という会社に勤めてます』と企業名で答えるが、
欧米では『自分はセールスマンだ、マーケティングが専門だ、買い付けの仕事をしている』といった具合に自分の職種で答える。
先日の知人との懇親会でも話題にあがり、感じたことであるが、
上記の問いの本質は欧米の回答が的を射ているのであろう。for a living=何のために何をしているのかをはっきり主張できることが大事で、日本的回答の場合、企業に勤めて、それで実際何をしてるの?といった追加の問いが生じる。日本国内に限れば企業名から相手が推測してくれるが、これからの時代はそうはいかない。
プロフェッショナルとは何か、といった某番組の問いのような話になってしまうけれど、『自分は何のために何の仕事をしているのか』その答えをくっきりとさせる為の時間を今、得ていると言える。
そしてその時間を、
モラトリアムにするか、人生のターニングポイントにするのかは自分次第である。
そんなこんなで来週からsummer vacationもとい、long vacationを迎える。
自分が働く際の比較優位(競争優位の方がカッコイイか)を生み出すために、興味のあることを深掘りしたり、必要不可欠な技能知識を身につけたりする、充実した時間にしたいと思う。
世の小学生と同じように
夏休みの計画をしっかり立てることにしよう。
因数分解
知人と今後再就職活動を控える同級生との懇親会を開催した。
その知人もMBAホルダーなので、
すぐに意気投合。
非常に優秀な方で、
頭の中が整理されているがゆえに、話がわかりやすい。
論理的思考
リーダーシップ
協調性
コンサルティング業界では色々な要素の能力を採用基準や評価基準に組み込んでいるとのことで、上記のような言葉は頻出用語。
けれども、
そんな中で一番印象に残ったのは『因数分解』という言葉をナチュラルに使っていたこと。
数学で学ぶ因数分解だけれども、
その本質は自分の生き方を考える時に使うものなのかもしれない。
次の再就職先を選ぶにあたっても
『働き方、働く上での優先順位』
を因数分解すると、
給料
働く環境
労働時間
正当な評価制度
キャリアアップの可能性
などなど
色々な『変数』が出てくる。
その変数のうち、どれを自分の式に入れるかはその人の価値観であり、戦略であり、それが正しいか正しくないかは本当に自分次第ということだ。
やるべきことやりたいこと、
やるべきでないことやりたくないこと、
が瞬間瞬間で判断できるのだと思う。
そしてそれは生まれ持ったもの+育った環境+努力と訓練を積み重ねて得たもの
の賜物なのだろう。
ふとコンサル用語を聞くとその人に対して身構えてしまうのだが、人の良さ=人間力に能力が加わってるので嫌味もない。
どんな業界で働くにせよ、その考え方は仕事に私生活に大いに参考になるものだ。
書きたいことが沢山あるが次の投稿に譲ることにしよう。自分が大事にする変数は何か改めて考える良い機会を得た。
備忘録:
プロダクトを通じた社会貢献vs知的労働を通じた社会貢献
現職は?の問いに対して、日本では企業名vs欧米では職種(sales,marketing,purchase)
コンピテンシーとアビリティ
人事評価制度として活用される
コンピテンシーとアビリティ。
competencyとability
今回学ぶまでコンピテンシーという言葉は全く馴染みのないものであったが、
この考え方は組織マネジメントにおいて思考の幅を広げてくれた。
コンピテンシーとは、
高業績の人に共通して見られる行動様式、みたいな定義が多く、顕在的で(目で見てわかって)個人的な能力のこと。
アビリティとは、
職務能力と企業では表現されることが多く、潜在的で(その人に備わっていて)個人的な能力のこと。
コンピテンシーで評価する上で大切なのは、
その行動目標を達成することが組織の目標の達成に繋がるように設計されていることだ。
アビリティは専門能力に近い意味で捉えると、
コンピテンシーで評価すると言っておきながら、結局それってアビリティで評価してない?といった取り違えが起きてしまう可能性がある。
日本企業は欧米の横文字を取り入れて、
より良い組織や制度を作ろうと努力するけれど、その言葉の意味を取り違えてしまうと最大限の効果が出ないことが多々ある。
自分自身においても
このMBAの過程で沢山の横文字概念を勉強する。未だ未だ語学力未熟で原書を読む力は無いので和訳に頼るわけだが、言葉の解釈は気をつけて知識を増やし知恵を付けていかないといけない。
迫り来る、
社会人でありながら学生という一番の特権である長期休暇を前に、
半分バカンス(本来の意味の何もしないで気ままに過ごすこと)、半分詰め込み教育、くらいの勢いで書物を読み漁ろうと思う。
多言語を学ぶ意義
100人同級生がいる中で、40人前後が留学生もしくは帰化した人達である。
かつてないほどのグローバルな環境に身を置いて毎日を過ごしているわけだが、
多言語を操るとは?その意義を日々再認識する。
日本なので、日本語が基本だが
中国人同士は時に中国語で、
中国人と韓国人は時に英語で話す。
時に
言語が理解できる理解できないで、
グループが生まれる。
グループは時に壁となる。
言語はコミュニティを形成する一方で、
他を排除する性質を持つが、
その言語を操れるようになればコミュニティを横断したコミュニケーションが可能になる。
そして多言語を学ぶ意義には、
単に話す聞く書く読むだけの良い事だけでなく、異なる言語で物事を考える事で、脳が異なる思考回路をする、といった研究結果も出ているようだ。
要は人間は言葉を通じて考えるわけで、
複数の言葉であればその分違う道筋で脳が働いて、考え方の幅が広がるという事だ。
単に話す聞く書く読むの能力は、
今後同時通訳AIのような文明の機器によって代替されるが、
人間の頭の中の多様な考え方は代替されないと言える。語学を学ぶ本質はこっちの方。
最後にこの3ヶ月間で『語学』に関して印象に残っていることは、
『中国語で表現したい言葉(感情とか意味合い)があるんだけど、日本語にそもそもそれを表現する言葉がないんだよね』という発見である。
『どうして上手くいかないんだ!ちくしょう!』みたいな意味合いが中国語では一言でズバッと言える言葉がある事を聞いて、Aha!となった。
そして韓国人の同級生は
『韓国にはもっと過激な言葉があるよ』と言っていた。
言葉は文化を形成し、国民性を形成し、時に対立を、時に素晴らしい発見と和解を、生む道具である。
In the next two years,
I want to be able to speak English well.