パパ、学生になる。

パパの視点、学生の視点、ビジネスマンの視点から、感じたことを書いていく。

多言語を学ぶ意義

100人同級生がいる中で、40人前後が留学生もしくは帰化した人達である。

かつてないほどのグローバルな環境に身を置いて毎日を過ごしているわけだが、

多言語を操るとは?その意義を日々再認識する。

 

日本なので、日本語が基本だが

中国人同士は時に中国語で、

中国人と韓国人は時に英語で話す。

 

時に

言語が理解できる理解できないで、

グループが生まれる。

グループは時に壁となる。

 

言語はコミュニティを形成する一方で、

他を排除する性質を持つが、

その言語を操れるようになればコミュニティを横断したコミュニケーションが可能になる。

 

そして多言語を学ぶ意義には、

単に話す聞く書く読むだけの良い事だけでなく、異なる言語で物事を考える事で、脳が異なる思考回路をする、といった研究結果も出ているようだ。

要は人間は言葉を通じて考えるわけで、

複数の言葉であればその分違う道筋で脳が働いて、考え方の幅が広がるという事だ。

 

単に話す聞く書く読むの能力は、

今後同時通訳AIのような文明の機器によって代替されるが、

人間の頭の中の多様な考え方は代替されないと言える。語学を学ぶ本質はこっちの方。

 

最後にこの3ヶ月間で『語学』に関して印象に残っていることは、

『中国語で表現したい言葉(感情とか意味合い)があるんだけど、日本語にそもそもそれを表現する言葉がないんだよね』という発見である。

 

『どうして上手くいかないんだ!ちくしょう!』みたいな意味合いが中国語では一言でズバッと言える言葉がある事を聞いて、Aha!となった。

 

そして韓国人の同級生は

『韓国にはもっと過激な言葉があるよ』と言っていた。

 

言葉は文化を形成し、国民性を形成し、時に対立を、時に素晴らしい発見と和解を、生む道具である。

In the next two years,

I want to be able to speak English well.