ポテンヒット
本日の組織マネジメントの授業に出てきて、
非常に面白く感じた用語 『ポテンヒット』
野球人なら
『セカンドとライトの間にポテンと落ちるラッキーなヒット』という解釈が真っ先に浮かぶだろう。
組織マネジメントの世界では、
『自分の領域ではない仕事だけど、誰かがやらないと困る仕事』という解釈に置き換わるようだ。要はポテンヒットも積もり積もればピンチに陥り、失点に繋がり困るという事だ。
野球と同じように仕事でも守備範囲があって、自分の役割とそれ以外とで分かれる。もちろん役割に応じて責任も生じる。
どんなに役割を細かく分けても
ビジネスにおいて不規則なポテンヒットは生まれるわけで、ポテンヒットの生まれない完璧な組織(守備の陣形)は存在しないと考えた方が良い。
ポテンヒットを防ぐ方法は何か。
『大声を出して自らの守備範囲を超えて、フライを捕りにいく人材』が必要だ。
ビジネスマン時代
自分は自分の領域を超えてチームのために働けていただろうか。組織外・業務外の仕事に積極的に取り組んでいただろうか。
企業は数人いるかいないかの貴重な人材を発掘し、重宝し、育成しなければならない。ポテンヒットを防げる人材は、その人の素質による部分も大きいと思うが、育てる事も可能で、意識を変え行動を変えるための評価制度を設けることが必要だ。
しっかりと評価を与え、流出を防ぎ、育成するところまで整えて初めて企業の優れた人材管理と言えるのだろう。
加えて大事なのは
守備範囲が広い=ポテンヒットを防ぐ
はイコールではないという事。
守備範囲が広いのは、その人の運動能力、ビジネスに置き換えると知識や技術、ノウハウ(改めてノウハウってknow-howって書くんだな)に長けているというだけで、
必ずしもその人が自分の領域を超えて動ける人とは限らない。どちらも貴重な人材だが、稀少な人材は言わずもがな。
人材管理とは奥が深い。
身近なスポーツに例えてみると理解が深まるとはこういうことか。
接点と刺激
今週末は4ヶ月ぶりにママとmeymalと名古屋へ。ママとmeymalは生まれ故郷へ久々の帰還、自分も第2の故郷へ久々の帰還。
核家族と大家族についての内容からイントロダクション。
普段はママとmeymalと3人で一つ屋根の下で暮らしているわけだけれども、
今週末はおじいちゃんおばあちゃん含めた大家族での暮らしをmeymalは経験し、今日はひいおばあちゃんと一緒に時間を過ごした。
沢山の接点と刺激。
子どもの成長を促す栄養素とも言えるこの2つ。大家族にはこれら栄養素が豊富に備わっている。
テレビや絵本、iPadに代替できない人と人とのコミュニケーション。
その本質は『五感』なんだと思う。
声がする方に耳を傾け、一生懸命視線を送り、近づいてきた『何か』を触り、舐めたり、匂いを嗅いだり。そして微笑む。meymalの行動を見ていると日々五感の成長を感じるし、それと同時にmeymalの成長を感じる。
核家族と大家族の一般的に言われる良い点悪い点の議論は傍に置いて、
今ある家族の形をグニャグニャと変えながら、meymalが五感を最大限に伸ばせる子育てができたらいいなと思う。
加えて、成長の機会は家族だけしか与えられるものではなく、周りに広がる様々な社会コミュニティの中に身を投じて、沢山の接点と刺激を得ることも可能で、そのお膳立ても親の仕事なんだと思う。
そんな自分はもう立派な大人で、自ら刺激溢れるコミュニティに飛び込んだわけだが、
4月から2ヶ月経ち、前のビジネスマン時代の日常を忘れてしまうほど環境は変化した。
ケースを読んでいても、読書をしていても、なんだか頭の中に入ってこないスランプ(?)のような状態に突入しているわけだけれど、
きっと頭の中のメモリーカードはまだまだ容量は空いてるはずだから、
五感をフルに使ってmeymalに負けないくらいの成長を目指していかないとな。
リーダーシップ first contribution
この2年間で、
『リーダーシップとは何か』という問いに
沢山向き合っていくだろう。
本日の組織マネジメントの授業のテーマも
リーダーシップについてであった。
授業の学びは改めて整理するが、
リーダーシップは色々な要素があって、
『これ』と定義するのは難しく、
むしろ色々な形や理解があって良いもの
という見解にagreeしておく。
ちなみに教授陣がよくagreeしますか?と言うので使ってみた。
今、自分の頭の中にあるものを書き記しておく。
自分はリーダーシップのある人間か。
中学校までは自信を持ってリーダーシップがあったと言える。
サッカーチームではキャプテン、
部活でも部長、クラスでは学級委員。
役職に就くことでリーダーの意識が芽生えていたと思うし、みんなの代表ってカッコいい、それくらいのイメージだった気がする。
高校生から先は進んで役職に就くことをしなかったので、それは正直後悔もしているのだけど、代表=必ずしもリーダーではないという見方を同時に学んだ期間でもあった。
周りよりも少し運動ができたり勉強ができたり、そんな強みが自然とリーダーを生む。
とても単純なことで、
小学生くらいだとシンプルに当てはまる。
きっと人類の歴史でも
何か他の人より秀でた分野で自然とリーダーになっていて、周りから憧れられたり信頼されたり、その結果周りをモチベートしたり、というシステムが出来上がって来たのだと思う。
その点から考えると、
色々な形のリーダー像があるのは必然で
物静かだけど周りをよく見ることに秀でた人も、粗削りだけど先頭を走って周りを引っ張って行くことに秀でた人も、皆リーダーである。
自分はどのタイプのリーダーになりたいか。
自分はどのタイプのリーダーに向いているか。
この2年間でボコボコしたリーダー像を
磨いて磨いてくっきりと定義できるようになろう。
今の自分に不足しているのはファーストペンギン的要素だから、誰も飛び込まない海に一番に飛び込めるような勇気と習慣を持ちたいと思う。
休肝日
ゴールデンウイーク明けから
ほぼ土日も含めて3週間
毎日大学へ通う日々が昨日終わった。
授業+中間試験+「ビジネスコンテスト」と、
多くのassignmentを抱えていて、
30歳を超えた自分には
これまでの仕事を抱えた日々よりも
非常にタフな毎日だった。
ビジネスマン時代は
assignmentなんて言葉は使ったことなかったが、大学院では頻発する。
仕事だとtaskという言葉を使うことが多い。
言葉の意味は色々あるけれど、
assignmentの方が
自発的に取り組む姿勢が強い感じを受けるかな。
ちなみにアメフトではアサイメントって言葉は一般的みたい。個人に割り当てられた役割的な感じ。
ということで、
今日は久々の休肝日。
ママは美容院に行ったから
meymalとお留守番。
1時間くらいぐずっていたけど、
ようやくお昼寝開始。
子育てにお休みはないから、
ママも休肝日を設けることが大事。
(もしかしたら子どもが成人するまでお休みなし?そんなバカな。3週間連続でしんどいのに。協力しあって、心と体のリフレッシュ期間が親にも必要だ)
ネットサーフィンしていたら、
立命館アジア太平洋大学(APU)の出口学長の新入生へのメッセージに辿り着いた。
メッセージの中に「人・本・旅」という自分が好きなものが出てきた。
心に残った文章は、
"「おいしいご飯」の因数分解
=「いろいろな材料を集める」×「上手に調理する」
「おいしい人生」の因数分解
=「いろいろな知識を身につける」×「自分の頭で考える」
人・本・旅で学ぶのは、
知識を得ることに加えて
考える力を鍛えること"
4月からの大学院生活で毎日思っていたことがズバッと言葉にされた感じ。
更に締めの言葉として、
学んだことを必要な時に取り出すには、頭の中の引き出しの整理が必要で、その最善の手段は「自分の言葉に直す」ことだと。
"インプットしたものはアウトプットすることによってのみ記憶に残る"
今日は備忘録としての引用が多かったけれど
このブログで自分の言葉に直す訓練をしていこう。
隣で寝てるmeymalにも
「人・本・旅」を好きになってもらえるかな。
引き続き休肝日を楽しもうっと。
発言の回数と質
回数と質の問題。
授業後半戦、みんなが今、モヤっと中。
サッカーで考えてみると、
どんなに泥臭いゴールでも1点は1点。
野球で考えてみると、
どんなにボテボテでもヒットはヒット。
積み重ねが打率になる。
授業では、発言の回数と質が評価基準。
発言の回数と質の良し悪しをマトリックスで考えると、
1.回数○と質○=◎
2.回数×と質×=×
3.回数○と質×=△
4.回数×と質○=△
3と4はどちらが評価されるべきか。
サッカーと野球の場合は、
3になるだろう。
どんなに美しい形で点を取ろうが、泥臭い形で点を取ろうが、1点は1点だから得点が多い方が良い。
発言となると、4の場合も考えられるが、
ある程度の打席数が必要で、
規定打席に達することが前提だろう。
授業を受ける目的を考えると、
勝ち負けを決めるために受けているのではなく、広い意味で『自分』のため『学ぶ』ために受けているのであって、目的に立ち返ると答えが見えてくる。
しかし、泥臭い1点も、理想の形を目指した弛まない努力の積み重ねの結果であるわけで、
授業という本番で質の高い意見を言うためには、予習復習という反復練習を経て、
規定打席という前提をクリアして初めて実現する。
どんな制度であれ、
自分の目的を絶えず再確認して
何も考えずに言葉を発するのではなく、
頭の中で整理され、質の伴った『意見』を言えるように努力すること、それこそが自分の力で変えられるものである。
回り回って
よくできた評価システムである。
無意識の落とし穴
先日、学校帰りスーパーで買い物をする時
『あれ、クレジットカードが無い』
という緊急事態が発生した。
なんとか現金で会計を済ませて
自分の行動を振り返る
『あ、お昼にテイクアウトしたお茶漬屋の店員からクレジットカード返してもらってない』
急いで電話すると
応対したアルバイトも慌てつつも安堵したような声で、お店で保管しているとのこと。
問題点は2つ。
クレジットカードを返し忘れ、電話があるまで何も行動を起こさなかった店員および店舗、企業のマニュアルに問題有り。
※一般的な正解は、
カード会社に電話して、カードをその場で破棄するらしい。
もう1つは
クレジットカードという大事なものを受け取らずに、店を出て、夜まで気づかなかった自分の無意識的な行動。
何度も何度も同じ経験をすると、
無意識が生まれる。
無意識でできることに良いこともあれば
悪いこともある。
無意識の恐さを感じる出来事である。
論理思考力をください
中間試験での論述に対するフィードバック。
・論理思考が足りない
・設問に答えていない
今の自分の現在地は、悔しいけど
上記の通り。
設問の意図を理解するにも、
設問に対する自身の意見を述べるにも、
『論理思考』という力が必要のようだ。
社会人になって耳タコの言葉、
『論理的』『ロジカル』
仕事をする上でも、
『論理思考』という力が必要のようだ。
それほど大事な能力なのに、
学校で『論理的思考』の時間ってあっただろうか。高校受験や大学受験で『小論文』の対策として、参考書を通じて学んだ記憶はあるけれど、その対策はどちらかと言うと、『型』を学んで機械的に文章を書くトレーニングに近く、今の自分の血となり肉となるものでは無かった。
文系で育った自分は
もはや手遅れなのだろうか。
しかし、
どうやら論理思考力は鍛える事ができるらしい。自分の現状に悲観せず、足りないものは足せば良い、それくらいの気持ちで再スタートしたいと思う。
人がやりたがらない事や面倒だなと思う事に時間をかけて努力を惜しまず取り組んでいれば、
それがいずれ人との小さな差になり自分の強みになる。
いま、わたしの、ねがいごとが
かなうならば
論理思考力がほしい
きっと
だれもくれないから
自分で手に入れるしかない。