あたりまえ
4月から始まった学生生活の中で、
度々目にする『あたりまえ』という言葉。
もはや社会的インフラと言える便利な道具も
誰かが思いつき、作り、広めた賜物であって、
存在しなかった世界から
存在する世界へ
我々の居場所を変えてくれたわけだ。
授業の中でとても印象に残っている
『あたりまえ』について
・あたりまえの水準って何?
・誰が決めたの?
・本当に共通理解できてる?
といった数々の問いである。
ビジネスマン時代を思い返すと、
朝から満員電車に揺られながら会社に向かう。
社員にとっては就業時間という『あたりまえ』の規則があって、誰も疑うことはない。
どんなに不快な朝の時間でもそれに耐えて、
規則のもとに人が集まる。
人が集まることによって生産性が高まる仕事が待ち受けているなら集まる意味もあるけれど、毎日グループで仕事をするわけでもなく、個人ワークに集中する時も多い。
ということは、
個人ワークはいつでもどこでもできるわけで、
沢山の企業が『あたりまえ』=規則を変えるとしたら、満員電車も少しは緩和するはず。
『あたりまえ』を疑う大事さ。
最後に、、、
満員電車へ人を押し込む警備員
ホームから人が落ちないように
黄色い線の内側で手を広げる警備員
毎朝、
警備員の人達がホームに転落しないか心配になる。異常な光景が早く無くなって欲しい。
大学へ行く時も満員電車に揺られている。
グループで、クラスで議論して
学び教え合う時間が待っているからだ。
そんな『あたりまえ』を生かさなくてはならない。